はじめまして、Showと申します。 このブログは、私の個人的なMini Tube Amp(真空管ミニアンプ)の製作やAudio,Musicに関する事を自分の思ったこと、感じたことを中心に書いたものです。また自分自身の備忘録にしています。 未熟の為、電気的、音楽的に間違ったことを書くことがあると思います。 また音楽、音質、機器のデザイン等に関することは、料理と同じように好みが多種存在すると思います。十人十色ではなく、一人で100色以上お持ちの方がいらっしゃると思っています。好きな方ほど、沢山のソースをいろいろな機器で楽しまれていらっしゃるのではないかと、勝手に思っています。 このブログの中心は製作に関することになると思いますが、大きなリスニングルームや製作ルームを持つことができないため、Mini Ampが中心になります。私の製作ペースはとてもslowで、「おもちゃ」のようなMini Ampばかりですが、いつか「自分らしい素敵なアンプ」が作れるようになりたいと思っています。よろしくお願いします。
2016年9月17日
なんちゃって、伊藤喜多男氏風シャーシー
天板のみ M3 クリンチングナット 6個を追加しました。
フレームはアルミ 2mm厚、底板は鉄 1.2mm厚です。
光っているのが、追加したクリンチングナットです。
既存のナット(フラッシュナット)は、両サイドの黒い部分で、薄型ヘキサナットをプレス機で面一に圧入しています。
今回使用した M3 のクリンチグナットです。
PCB、アルミパネル用途で、圧入部分がテーパー状になっています。
2種の平行プライヤーです。
キズ保護のため、PPバンドを養生テープで巻いています。
作業には、ゴム張の軍手、そして力加減にちょっと慣れが必要です。
おまけ。
これは inch サイズ 4-40 プレス機専用のもので、ハンドツールによる圧入は無理です。
使用する M3 ネジは、もちろんパンヘッド、スタンダード(マイナス)ステンです。
写真では分かりませんが、これはシリコンリング入りの特殊なシーリングネジです。
天板アルミ 3mm厚、仮止めの様子です。(348 x 218 x 3mm)
天板は、上面のみ長手方向にヘアライン、そして全体にアルマイト処理が施してあります。上面の縁は、カット時に若干Rがあり、軽くヤスリ処理で済みました。 但し下面はかなり鋭利になっていましたので、そこそこのヤスリ処理が必要でした。
穴は、直径 3.2mmを目標にしましたが、残念ながら私の腕がイマイチなため、直径 3.4mmになってしまいました。穴が16個もあると、精度を出すのが難しいです。「まだまだ青い」と実感です。
試しに、16個のバインド、フィリップス(プラス)ネジに赤茶ファイバーワッシャーを入れて、取り付けてみました。
→ ネジの形状、ワッシャーの色、どちらも私の好みではありませんでした。
伊藤喜多男氏のものとは、外側からネジセンターまでの寸法が異なるため、既製品利用ではこのあたりが限界です。
つまり 「なんちゃって伊藤喜多男氏シャーシー」 です。
2011年4月24日
伊藤喜多男さんの思い出 「マーコット」
私はこのマーコットを食べていると、いつも伊藤喜多男さんを思い出します。
写真のハガキは、1988年に頂戴したものです。なんとも独特の書体と文面は、一度見たら忘れられません。
何度か訪問した際に、どーも伊藤喜多男さんは、ご家族はいらっしゃるようなのですが、お一人で暮らしているように感じましたので、一人分なら少しでよいからおいしいものが良いと勝手に思い、食べごろの果実をお店の人に選んでもらい、少しだけ持参していました。
当時の私は、コリンズや軍用無線機に夢中でしたが、同時に工具にもとても興味を持っていました。写真にあるPROTOの木柄のものは特にお気に入りで、こういった工具に関しても、伊藤喜多男さんは相当詳しくこだわりを持たれていました。そういえばお部屋には、ブルーのイタリア製コンプレッサーがあり、アンプ内部の掃除に利用されていました。
それにしても訪問する度に 「一体、どんな経歴を持つ方なのだろう」といつも不思議に思っていました。会話の内容は、毎回私が興味をそそられる事ばかりでしたし、そしてとにかく「粋でカッコイイ おじいちゃん」なのです。
こうして頂戴したハガキや手紙は、思い出とともに、今でも私の大切な「宝物」です。
2009年8月20日
伊藤喜多男さんとの出会い
1988年のある日の出来事。
雑誌広告に記載のSiemensのスピーカーが欲しくて関本という会社に電話したところ、伊藤さんという方のところに行くように指示されました。
私が欲しかったのは、写真右下の平面バッフルのものでした。
山手線のある駅からバスに乗り換え、マンションの一室で初めて伊藤喜多男さんにお会いしました。
当時の私はオーディオの知識など乏しく、もちろん伊藤喜多男さんのプロフィール等知る術もありません。初対面でしたが、何か強烈に感じるものがあり、とにかく「粋でカッコイイおじいちゃん」でした。何時間も会話が弾み、外は真っ暗になっていました。「何時でも遊びに来なさい」と言われ、その後度々おじゃまするようになりました。そして私が氏のプロフィールを知り「先生」と呼ぶようになったのはそれからずっと後のことでした。
1992年2月に伊藤喜多男氏が亡くなられました。私の記憶が正しく残っているうちに少しずつ思い出を書き留めたいと思います。そして私がアンプ作りをはじめる原点になった方であることは間違いありません。